夜咄茶事に参加してきました。

夜咄は冬至から立春の間に夕暮れ時から行われる茶事のことです。
午後5時から6時頃の案内で、露地では灯篭や露地行灯に火を灯し、客は手燭で足元を照らしながら腰掛に進み、迎付のとき亭主と正客は手燭の交換をします。
お点前や拝見のときは手燭を用います。(イメージ)

普段の茶事とはまた違った雰囲気です。
昔、電気がなかった時代はこうやってお茶事をしたんだろうなという思いを馳せました。
和ろうそくで灯りをとるのですが、和ろうそくは芯が太くて炎が大きいので、その分明るく見えるんです。
とはいえ、夜が更けるに連れ、懐石やお茶の中身もほとんど見えない暗さになりました。
多少目が慣れますが、普段から電気のある生活に慣れているので暗かったです。
和ろうそくは1本で2時間程持ちました。
待合のお軸は色紙に「梅花和雪香」でした。
長く厳しい寒さに耐えて、凛とした美しさと気高い香りを放つ梅の花。
梅のように、人とて、やはり世の時流に流されず、艱難辛苦に耐えての精進あってこそ高潔な人格が得られるものであるという意味が込められています。
本席のお軸は裏千家十四代家元・淡淡斎の「春色従東到」でした。

中国には古代の神話や陰陽五行説をもとに、季節と四方位、またそれぞれを象徴する色の、決まった組み合わせがあります。 春の方位は東で色は青、夏は南、色は赤(朱)、秋は西で白、冬は北で黒(玄)、というわけです。我が国で春風を呼ぶ名に「こち」と言う言葉があり、それに「東風」という字を当てるのは、このように春の風は東風であるという中国文学の決まり事に由来します。この詩において「春は東から」とするのも伝統的な「春」と「東」との関係を言うものです。
今も昔も、梅の開花は待ちわびる春の到来そのものに等しく、人がとりわけ心ときめかせる出来事なのに違いありません。
薄茶のお茶碗は西岡小十さんでした。古唐津で有名な方です。
少しずつお道具も見る余裕が出てきました。
全部は覚えきれなくても、分かるものが1つ、また1つ増えていくと嬉しいです。
夜咄を体験して、まずは電気のありがたさに感謝しました。
太い和ろうそくを5~6本使用しても手元が暗く、お料理やお茶はろうそくに近づけなければ中身が見えませんでした。
せっかく彩よく仕立てて下さったお料理が暗くて見えないのは少し残念でした。
お茶はお話ししながらだと暗いなかでも美味しく頂けました。
お茶を長年嗜んでいる方でも夜咄に参加することは貴重な経験だと言われますので、私未熟者ながら参加できてとても嬉しかったです。
この貴重な経験を忘れることなく、更に精進していきたいと思います。